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どこの世界の話? バブル時代の衝撃就活事情がヤバい

2016.12.22
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「就活戦争」と呼ばれるほど現代の就職活動の負担は大きく、多くの学生が苦労しています。

まず説明会に参加し、次にエントリー、SPIや筆記試験などを経てやっと一次面接にこぎ着けるという手順が一般的で、内定をもらうまでには長く険しい道のりが待っています。

 

面接

 

ところが日本の景気が絶好調だった時期、いわゆるバブル時代の様子を見ると、就活の現場にも全く違う光景が広がっていたことがわかります。

あまりにも違いすぎて思わず笑ってしまうような、伝説の「バブリー就活」をご紹介します。

 

 

そもそも「バブル」とは?

 

一般的には1986年後半から1990年中頃まで続いた好景気の期間をさします。バブルという言葉を和訳すると、「泡」。膨張し、あっという間に弾けてしまった様に例えて名付けられました。

バブルの盛り上がりは、当時の地価から見ることができます。多くの人々は一気に手にした大金を使い、競うように土地を購入していました。そのため地価は異常なほどに値上がりして、東京23区の地価金額合計が全米の地価金額合計と並んでしまいました。

日本中が沸いた、かつてないほどの好景気だったようです。

 

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テレビで「1万円札の札束を見せつけてタクシーを止める」シーンは見たことある人も多いのではないでしょうか。そんな時代だからこそ、就職活動もなんともリッチな様子です。

なんでも、就活に伴い発生する交通費はもちろん全額支給されていたのだとか。基本的に全額自己負担の今では考えられませんよね。

また、試験や面接以前の活動も現在とは異なっていたようです。例えば説明会などは、企業の方から学生を招待していました。インターネットや学校の掲示板などで探す現代とは大違いですね。そしてこの会場も、北海道や沖縄などのリゾート地、ときには海外!で行われることも多かったそうです。

もちろんこの場合も、交通費・宿泊費は企業持ち。もはや、説明会と銘打ったパーティーのような感じだったのだそうです。

そして特に現地で試験や面接があるというわけでもなく、なんと口頭での入社意思確認のみで内定がもらえたようなのです。言葉も出ないほど、「パリピ」な就活生が多かったのですね。

 

1人で20社内定も!?

 

また当時はあらゆる方法で学生を取得したいと考える企業が多かったため、1人の学生が複数の内定をもらうというのが決して珍しくありませんでした。

そんな世の中ですから、学生の平均内定数も4~6社という選びたい放題な状況でした。となると、内定を出した後に、いかに自社を選んでもらえるかが企業としては重要なテーマになります。

そして、なんと内定を出した学生を海外旅行に連れていき接待するという、現在では想像できないことが繰り広げられていました。強者の内定者は複数の企業の同じ旅行先の内定旅行を同時にこなす人もいたんだとか。

 

 

リッチな待遇は入社後も

 

今では一律に決まっている初任給ですが、バブルの時代は入社前に個別に交渉ができたようです。企業にとって魅力的な人材だった場合は3~5万円基本給をアップしてくれるなど、かなり自由な様子。例え交渉できず普通に入社した場合でも初任給が30万円近くという会社も少なくありませんでした。

今では支給されないという人も多いであろうボーナスに関しても、当時はさすが好景気。臨時ボーナスが2ヶ月に1度支給されることもあったようです。もはや、ボーナスというより給料みたいなものですね。こんな調子で勝手にお金が入ってくるので、外車を購入する新入社員が続出したのだとか。

 

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当時の企業はかなりイケイケな様子。今とは全く反対の考え方ですが、「公務員になんかなっていられない」という風潮も強かったと聞きます。

まるでフィクションのような物語ですが、わずか20年ほど前の日本の現実。昨今の就活生にとっては夢のような風景ですね。「バブル」はいつかは弾けて消えてしまうもの。それでも、1日で良いから体験してみたいですよね。

 

残念ながら、内定後にハワイにお連れすることはできませんが、浜友観光ではしっかりとした研修を用意し、スキルアップに向けた体制を整えています。

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